情報の信頼性 |
- 日時: 2021/09/07 20:28
- 名前: じじい
- 例えばコロナの情報に関して、その真偽のほどを判断するのが極めて困難に感じる。
というより信じうるに足る情報源が存在しないような状況をネットは呈している。
特にこれはニュースという分野全域において、起きつつあることで、それはまさに「ポスト真実の時代」という単語に相応しい情勢だ。
私はこれは半ば組織的に起こされていると思うに至った。
つまり都合の悪い情報は、真実でも虚偽でもなく、正しい情報が伝わらないことが、責任の所在をぼかすことができる利点がある。
たとえばコロナの諸情報が真実であれ虚偽であれ、正確に伝わらないことで、たとえばワクチン製造側の責任問題であってさえも誰も把握できなくなる。 政治にしても何にしても、混沌が全てを覆えば、情報自体が意味をなさなくなる。
情報が意味をなさなくなれば、不正も正確性も問えない。 つまり情報化の行きつく先は、何も真実がわからない、というところへ収束する。
ただ虚実不明の文字が満ち溢れ、検索してもどこにもたどり着かない。 既に、ネットはそういう場になりつつあるのだ。 さらいえば検索エンジンもそれに加担しているのだ。
大量の真偽不明の情報は愉快犯でも個人の気まぐれでも、陰謀論者の妄想でもなく、意図的に日夜大量生産されている。
それは真実を覆い隠す目的の情報の煙幕なのだ。 それが誰に利する行為かで犯人は見当がつくとしても、それすらも真偽のほどはわからない。
それらを追跡しても真実には絶対に到達しない。 ではどうすべきなのか。
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